- 東京近郊
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「智恵子抄・レモン哀歌」夫婦の愛のあった場所、南品川ゼームス坂病院跡
教科書などで1度は目にしたことのある、高村光太郎の書いた詩集「智恵子抄」の中にある「レモン哀歌」。
これは、高村光太郎の妻である智恵子が亡くなる、最後の瞬間を詩にしています。
まるで色や香りが手に取れるように鮮やかに、そして、それとは対照的な深い深い静けさと寂しさを、いつ読み返しても感じさせます。
智恵子は精神分裂症患者として、「南品川ゼームス坂病院」の15号室に入院していました。
「高村智恵子記念詩碑(レモン哀歌の碑)」はこの病院があった跡地にたてられています。
京浜急行「新馬場駅」南口より第一京浜へ向かって歩き、第一京浜を超えてしばらくしたところに、「品川銀座」の入り口があります。
その道を入ると、「ゼームス坂通り」という標識があるので、さらに道なりに歩いていくと、案内があります。
ゼームス坂からわき道に入っていった坂の途中に碑はあります。
少しわかりづらい場所になっていますが、碑の下にはレモンが供えられています。
碑には光太郎直筆の「レモン哀歌」の詩が刻まれています。
光太郎が「智恵子抄」を作品として発表するまでに、「3年」の月日がかかったそうです。
その時間は、レモン哀歌の後に続く数編の詩やあとがきから伝わってくる、智恵子を失った光太郎の心の喪失感・空虚感からも知ることができます。
ここにある、夫婦の愛は、時間が経ってもかわらず、私たちの心に、愛という美しさを伝えてくれる場所のような気がします。